私は、癒しの道を探していた。
その中で、長尾弘先生に生前一度もお会い出来なかったことは痛恨の極みだ。時期とタイミングが微妙にずれていた。その後も、なかなか道は開けなかった。
ある日、一条の光りが差し込んできた。
私は長尾弘先生の反省と禅定を注意深く聴いていた。それが癒しの法門をくぐる、唯一の道であるとも知らずに。
出会いとは本当に不思議なものだ。
長尾弘先生 ー 略年譜
長尾弘先生は2007年にご逝去されるまでの55年間、大阪府岸和田市磯上(いそのかみ)の浄心庵(じょうしんあん)という道場で、正法を説き癒しを実践されていた。
その名は日本全国はもとより世界各国にとどろき、ヒーリングの巨星、現代のキリストとまで云われていた。
長尾 弘 (ながお ひろむ)
1931年、大阪生まれ。
1974年、高橋信次先生とのご縁により正法に目覚める。
織物業を営む毎日の生活の中で、正法の実践を通し人間の幸、不幸は、すべて自分の心の作用の現われであることを悟る。
その頃から癒しの力も強まり、整体治療の各種資格を取得後「浄心庵」を開院、癒しの力により多くの難病奇病の方々を救い釈迦、イエスの慈悲と愛を実践し、数々の奇蹟を見せている。
開院以来、土、日曜日には無償で講話と癒しを続けているが、氏を慕う人々には組織化された宗教団体とは趣を異にした慈悲と愛の集いを見ることができる。
多くの体験を通して語られる神理の言魂ーそれは、師にすがることによって得られるものではなく、神理を学ぶ私達が実践を通して初めて体得されるものである。
1987年の東京公演をきっかけに日本全国から公演を依頼され、1989年にはドイツでの公演を、又その後、諸外国での公演も数多く続けている。
そして今日氏の願いである「地球全体に法の灯を」の輪が確実に広がっている。
著書 講演集『愚か者の独り言』Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、『心行の解説』(上)、(下)
引用元:真理を求める愚か者の独り言|長尾弘 著 (1998年12月25日 初版第1刷)
反省と禅定 ー 旅のはじまり

反省と禅定 ー 最初この語を聞いたとき、古めかしい印象しか持てなかった。今風にいうと内省とか瞑想が近いかも知れない。しかしその内容は、第一印象とは別物であった。
長尾弘先生の語り口調やエスコートはあまりにも優しくソフトなので、癒され安心して身をまかせられると親しみを感じた。進め方も工夫され洗練されている。
人間のマインド(自我)は肉体の防衛機能を備えているために、都合の悪いことはすべて蓋(ふた)をしてしまう習性がある。はぐらかし隠蔽(いんぺい)する癖(くせ)がついている。そして、自己催眠や自己暗示を与えてまで執拗にごまかし続ける。反省のようなバランス作用が働かなければ、肉体の防衛機能はしばしば行き過ぎて「幻想」に陥りやすくなる。
この狡猾なマインド(自我)が生存本能から作り上げた「幻想」はいずれ破られなければならない。なぜなら、自分と他者をも巻き込んだ自作自演の心理作用「ウソ」偽りが現実にあらゆる障害を作り出しているからだ。
心のはたらきを十分に制御できない自分の未熟さゆえに作り出された病や不運は、存在から反省の材料として与えらたギフトだ。また反省は良心に照らして熟考する自発的な行為で、他人任せでは決して起こり得ない。
すべて自分が蒔いた種なのだ。
反省は「ウソ」偽りを見破り、禅定は「幻想」を落とし夢から目覚めることを促す。己を知るということがいかに大切なことであるかを痛感したら、自己をみつめる旅がはじまった。
富士宮反省研修 ①
上掲リンクは<富士宮反省研修会>(1999年)の内容を再体験できる貴重な映像資料。
第1ステップは、日常の行ないの中から自己をみつめていく。ノートを一冊用意して、自分の悪い癖(くせ)、欠点を素直に一つ一つ拾い上げて書き出していく、これが基本的且つ根本的なスタートだ。普段手書きに慣れていないため、なかなか筆(ボールペン)が進まなかったが、徐々になめらかにすらすらと出てくるようになった。誰かに見られる訳でもないので、気兼ねなしに思いつくまま包み隠さず書いていった。
長年にわたって繰り返されてきた自分の悪い癖(くせ)、欠点というのは、意識的に見つけ出そうとしない限りなかなか捕まらない。その理由は己を過信し過ぎていることにある。
つまり己を知らない。自分が普段どんな言葉を口走っているのか忘れている。何をしているのかよく憶えていない。それどころか行動の結末について無責任だとすれば、ただ惰性で時間を浪費しているだけということになる。
この事実を知るだけでも恐ろしい。
すでに忘れ去られた過去の記憶や、禁忌、タブー、そして心の奥底に封印されていた出来事があぶり出されてきた。しばらくはかどらない場面もあったが、少しずつ努力していくうちに慣れて気持ちも楽になってきた。そうやって、心の曇りは自律的に清浄化されていった。
長尾弘先生の反省と禅定は、私たちの心に花を咲かせる。幸せと喜びをわかちあう愛の道であった。
私はようやくその入口に辿り着いた。
長尾弘先生 富士宮反省研修会