富士宮反省研修会へ初めて参加した。
長尾弘先生は2007年10月にご逝去される半年前に、この反省研修会だけは少人数でもよいから続けてほしいと唯一の遺言(ゆいごん)を託されたそうだ。生前の御遺志は継承され2008年以降も毎年開催されている。
そして2025年は、長尾弘先生がご逝去されてから18年目の年にあたる。
立夏の候、年に一度だけ開催される真摯で清浄な自己探求の旅への好機を得た。
富士山浅間大社

私たちは早朝、富士宮駅に到着した。快晴の下、先ずは富士山浅間大社へと参詣に伺った。本殿東に湧玉池(わくたまいけ)が在り、さざれ石の岩盤に富士山から透明で清らかな雪解け水が流れ込んでいた。

その富士山の雪解け水で口をすすぎ、禊祓(みそぎはらえ)をさせていただき、反省と禅定(癒しの道)への誓いを立てた。このようなスタートをきれるとは予定していなかったので、縁起のよい感じがした。「今日のよき日をありがとう」と、私はそっと母に掌を合わせた。

天空は真っ青々に晴れていた。この日の富士山は雪化粧していてとても綺麗だった。あとで地元の方に聞いたところ、たまたま昨夜の雨が富士山麓で雪となって凍りつき、最高に美しい容姿に変貌したのだそうだ。
富士山浅間大社の境内では次の日からはじまる「流鏑馬」(やぶさめ)の準備をされていた。「流鏑馬」(やぶさめ)は疾走する馬上から鏑矢(かぶらや)で的を射る神事で、日本の古式弓馬術だ。また「弘」(ひろむ)の字源は弓を大きく反らせる様子からきているそうで、これも長尾弘先生の反省と禅定で「心の的を得よ」という霊的訓示であろうか。
静岡県富士山世界遺産センター

一の鳥居の脇にある「静岡県富士山世界遺産センター」は、逆さ富士を模した特殊な外観の資料館で、学術調査機能を併せ持つ施設だそうだ。内部は螺旋状のスロープ構造になっており、各階で富士登拝の映像が途切れなくプロジェクターから流されていた。上の階へ進むほど頂上を目指して登山しているかのようなストーリー設定になっている。
ちょうど12年前の巳年に私たちは富士登山して頂上まで登った。九合目から頂上にいたるゴール地点では、天上に日輪の虹が現われた。その当時の出来事を思い出しながら歩き、此度はこんなに楽に登らせてもらえて本当に幸せだなあと感謝した。

資料館の中は広く快適だった。富士山の地質や歴史の資料が網羅されており、また生態環境を学べる様々な常設展示が工夫されていた。帰りがけに映像シアターで観た短編映画「宙(そら)の巻」(265インチスクリーン・4K画質)も上空から見た富士山の映像が大迫力で感動した。

屋上の展望ホールから富士山の美しい姿を遙拝できた。この日の富士山はどこまでも末広がりだった。私たちがやって来た事を歓迎し、前途をお祝いしてくれている吉兆のような、ありがたい心持ちがした。
静岡県富士山世界遺産センター
そうこうしているうちに路線バスの時刻が迫ってきた。便数が限られているため急ぎバス停に向かった。
白糸ノ滝

路線バスで、白糸の滝・音止めの滝までやって来た。瀧の周辺アプローチは整備され、吊り橋やカフェテリアなど新しい施設ができていた。

白糸の滝で涼をいただいた。ここから研修会場までの交通手段はタクシーしかない。観光案内所まで戻って手配をお願いした。
富士宮反省研修会

第29回富士宮反省研修会、会場のヴィラに到着した。これから3泊4日の旅程で本格的な反省と禅定がはじまる。長尾弘先生の在世当時と同じ内容、同じ時間割で進行されていく。各時間、全員個室で与えられた課題に添って取り組み、反省と禅定に集中していく。

最初は自分の悪い癖、欠点をいくつか拾い上げノートに書き出していくところからはじまる。説明を聞くと簡単に思えるが、更に自己を深くみつめて弱点の原因を究明していく。実際に取り組んでみると至難のわざだった。過去の記憶をたぐり寄せながら自らの過ちを悔い改める。あのとき悪かったと素直に認めていく。心の草引き、その繰り返し。
反省と禅定 ー 私の体験談

特に難しいと思えたのは「相手の立場になる」という課題。これが本当に難関で、反省が深くなればなるほど苦々しい場面に直面し辛さもでてくる。時には何時間もかかってうんうん唸りながらそこを乗り越えていく。

数時間に一度、お世話役の先輩が様子を見に来て下さる。もし自分の理解がポイントを外していたら修正してもらい、励まし勇気づけられながら更に進んでいく。

そして「お母さんの立場になる」この課題は痛烈だった。何も恩返し出来ていない自分にとって、もう正直に詫びるしか道は残されていない。筆(ボールペン)を握る自分の手を介して、母との対話がはじまった。
目から大粒の涙があふれてきた。母はすぐ傍で語りかけているかのようだった。
「人の世が いかで廃れて果つるとも 母子の愛は 永遠に変わらじ」と。
富士宮反省研修 ③
上掲リンクは<富士宮反省研修会>(1999年)の内容を再体験できる貴重な映像資料。
第3ステップは、お母さんから受けた愛に対し、どれだけの恩返しができたかを書き出す。お母さんの立場に立って、そのとき自分をどのように思ってくれたか、できるだけ詳しく追求していく。
私は長尾弘先生の反省と禅定に感服した。そして今も変わらぬ母の眼差しに心から感謝した。
最終ステップでは、過ちを犯した幼い頃の自分に対し、反省した今の自分から慰めと励ましを与える。よく頑張ったと。自らを愛おしみ幸せに生きることを伝える。
長尾弘先生が愛するブッダの言葉。
人は先に過ちを犯せども
のちに過ちを犯さざれば
その人の世間を照らすこと
雲を離れてひとり輝く
満月の如し
長尾弘先生の反省と禅定は、自分が蒔いた種に気づかせる。正しい心構えの自覚を諭す赦しの道であった。
私はようやく心に法灯がともされ、癒しの正道は開かれた。
まとめ


自己をみつめることによって、心がもう一度自由を取り戻すという体験は尊く有り難いものだ。その時、富士山の雪解け水のように清らかな涙とともに、魂は浄化され重荷は消え去っていった。
自己の扉を開くマスター・キー、反省と禅定の神秘的な救いのはたらきは素晴らしかった。
長尾弘先生 富士宮反省研修会
長尾弘先生 在りし日の反省研修会
旅の終わりに


反省研修中の3日間は快晴が続いたが、最終日は朝から別れの涙雨。あっという間に3泊4日の旅程が終った。富士宮駅までタクシーで戻って、それから在来線を乗り継いで静岡駅へ。新幹線に乗車するまでの待ち時間にスルガマルシェで駅弁を物色してみた。


ヴィラから富士宮駅まで帰りのタクシー運転手さんが気さくな方で、静岡県の名物を教えてくれた。それはなんと太平洋のマグロ!確かに売場に行くと鮮度のいいマグロの切り身が分厚くて当たり前!なのだそうだ。


美味しそうなマグロの刺し身と巻き寿司を買った。ドトールで少し休んでから新幹線のホームへ。夕方のひかりで新大阪駅まで帰る。
時空を超えて


JR大阪駅まで帰ってきた。新阪急ビルの壁面に掲げられた「山は富士 酒は白雪」の看板。お帰りなさいとお出迎え。


駅前は再開発で目まぐるしく変貌を遂げているのに、父親が設計した排煙ダクトは、時間が止まったかのようにまだそこで息をしていた。「帰ってきたでー」とあいさつをした。


父と母とはじめて富士山に出かけた1才頃の幼いわたし。


時空を超えた富士山への旅、無事に帰宅できた。よく頑張った。